大文字山から京都市街を見る。

 

いとふ世も月澄む秋になりぬれば 永らえずはと思いなるかな(西行)

 

紅葉にはまだ早いとは知りながら、2週連続で大文字山に登った。
五山の送り火で有名な大文字山だが、もともとは如意ヶ嶽(にょいがたけ)と言ったらしい。
大文字山山頂は如意ヶ嶽山頂から西に1.3キロメートル強の位置にあり、標高465.4メートル。如意ヶ嶽と大文字山は混同されがちであるが、現在では別の山である。


古くは両山を同一視する向きが強く、この周囲の山塊を如意ヶ嶽と呼んでおり、江戸時代の書物では「如意ヶ嶽で送り火が行われる」「如意ヶ嶽を俗に大文字山という」などの例が見られる。
現在、大文字保存会では、送り火を行う山を「大文字山」としている。

最初の登山では大津京から長等山を越えて、2回目は三井寺から如意ヶ嶽を通って大文字山を目指したが、散々だった。最初の登山では少々無理をしながらも、何とか大文字山にたどり着いたが、数日後に痛風が出て一週間歩けなかった。
2回目の登山では如意ヶ嶽近くで足にマメができ、無理すれば行けないわけでもなかったが、前回のこともあるので、無理をしないで下山した。

 

そんなこんなで印象の良くない大文字山だったが、10月4日に山科から登ってみたら、1時間30分ほどで頂上に到達し、拍子抜けした。これは面白くて良い山だと評価が一変し、10月10日、快晴の体育の日に再度登った。

 

如意ヶ嶽や火床(ひどこ)の写真は、別の日に撮影したものも混じっているが、すべてオリジナル。


山科から15分ほど歩くと「毘沙門堂」に出る。

ここの紅葉はとても良いと聞くので、その時期に再訪したい。

 

少し色づいた紅葉が見える。

この時期に色づく紅葉は、樹勢が衰えたものが多いと聞く。

 

登山道の途中で土砂崩れの復旧工事が行われていて、ここからの道は少し荒れている。

 

沢沿いを歩いてきたが、ここで稜線に出る。針葉樹林だけでなく、広葉樹林が増えてくる。

 

「火床」から京都御所方面を望む。

手前にある赤茶けたレンガが火床。

 

如意ヶ嶽の山頂(標高472メートル)には、大阪航空局大津航空無線標識所の施設があり立入禁止。

 

近づいてみるとこんな感じだが、庭園の遺構であろうか?

このあたりには昔三井寺の堂舎僧房が数十にも及んだという。

 

本堂に続く階段を右に見ながら進むと、大文字山の登山道の分岐になる。表示板が多くあり、見落とすことはない。

 

登山道の分岐に「後山階陵」があるので、参拝してから登ることにする。

 

沢沿いの細い道は見かけほど危険は少ないが、それでも滑りにくい靴は必須だろう。

 

稜線に出てから15分ほど軽快に歩くと大文字山の頂上に到達する。

 

「火床」大の字の右側。送り火は足利義政が息子を亡くした1489年に始まったという説の他、空海説、近衛信尹説など。

 

山頂近くに不思議な空間があり、人為的に巨石が立てられたような感じがする。

 

長等山山頂(標高354メートル)

三井寺の正式名称は長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)。