大山から見た眺望。借景は残念だが、美しい景観である。
旧芝離宮恩賜庭園
後楽園ガイド研修の一環として、旧芝離宮恩賜庭園を10月29日に訪れた。
まずは「パンフレット」から抜粋しよう。
小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園のひとつ。
典型的な「池泉を中心とした回遊式庭園」で、その地割と石組みは秀逸です。この地はかつて海面でしたが、明暦(1655~1658年)の頃に埋め立てられ、延宝6年(1678)に老中・大久保忠朝の邸地となりました。忠朝は上屋敷を建てる際に、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し、これを「楽寿園」と命名した。
その後、数氏を経て、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となりました。
関東大震災の前には、洋館が建っていたことを示す掲示板。
松は黒松が主で、赤松も何本かあるという。
中島にアオサギと思われる野鳥がじっと動かない。
10月桜が可憐な花を開いていた。
大山から見た庭園。
謎の石柱の掲示板。ガイドさんの説明ではこの上に「茶室」があったのではないかという。2階建ての茶室は珍しくないが、4本の石柱で支えたとなると、特異な構造と言える。
枯滝。山間を流れ落ちる滝を彷彿とさせる石組みである。奥の赤茶けた縦の筋が滝の見立てだろう。
西湖堤を渡るの図。
感激の面持ちで橋を見ているのだろうか?
中島の石組み。遠景。素晴らしい。
八ツ橋を渡れば、「唐津山」は近い。
海水を取り込んでいたころの遺構。
現在の池泉は淡水とのこと。
帰りに世界貿易センタービルに寄って、旧芝離宮恩賜庭園を上から見てみた。
明治4年(1871)に有栖川宮家の所有になりましたが、同8年(1875)に宮内省がこれを買い上げ、翌年に芝離宮となりました。大正12年(1923)の関東大震災によって、建物と樹木のほとんどが焼失しましたが、翌13年(1924)1月、昭和天皇のご成婚記念として東京市(都)に下賜され、庭園の復旧と整備を施して、同年4月に「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開されました。昭和54年(1979)6月に「旧芝離宮恩賜庭園(文化財指定名称)」として国の名勝に指定されています。
以前から気になっていた4本の石柱について、どのようなガイドがなされるか、期待して研修に臨んだ。謎は謎のまま残ったが、1時間30分ほどじっくりガイドしていただき、感謝感激である。
ある意味、後楽園より「大名庭園」らしいと言えるので、一度は訪れてみたい庭園だろう。
洋館の土台であった石積みが今も残る。
汀の主役の雪見灯籠。
冬鳥の飛来が始まっている。キンクロハジロ。
典型的な築山「大山」に上る。
大山を降りると謎の石柱。
<参考>京都高台寺の2階建て茶室「時雨亭」(重要文化財)。土間廊下で「傘亭」に繋がっている。石材ではなく、栗などの木材で2階建茶室を建てることが多い。
西湖堤。中国杭州の本物は全長2.8キロあるという。
後楽園の西湖堤は通行禁止だが、ここは渡れる。
西湖堤の反り橋。
ガイドさんの足が写りこんでいる。
中島の石組み。近景。
唐津山。作庭初期の庭園遺構。
記念撮影。
後楽園ガイドの皆様、お疲れさまでした。
ハロウィンの季節(本当は10月31日の一日だけ)。キリスト教の祭ではなく、古代ケルト人の祭が起源と考えられている。
本日のベストショットかな?